親子でページを開く その時、体の中から ゆったりと楽しさがあふれる
子供読書年に寄せて−子の成長と「本」の力

 ことしは「子ども読書年」。幼児から小学生、中・高校生、そして家族、社会全体に−と、本を読むことの楽しさ、本を一緒に読むことで親子が語り合い時間を共有することの大切さを訴えるため、全国で様々な取り組みがされている。本を読むこと、特に小さなうちから本を読む習慣を付けることが大切なのは、頭では分かっている。しかし、実際には読書にどんな「力」があるのだろう。福知山市内で文庫活動を通して「子どもと本」にかかわり、「本を読む子」と接している2人に聞いた。
家庭で 学校で読み聞かせ
YMCAブッククラブ
 

 福知山YMCAブッククラブは1995年2月、阪神大震災の被災地に子どもの本を贈ろうという運動から生まれた集まり。福知山で会員を募って神戸へ援助資金を送り、被災地支援がひと段落したあとは地元で文庫活動をするようになった。 篠尾新町のYMCA会館を中心に活動し、所蔵する書籍は約2000冊。最近は新町商店街の福知山鉄道館ポッポランドにも何冊かを置いて、訪れた親子連れたちに自由に本を読んでもらっている。
 発起人で現在事務局長をしている西町、堀京子さんは、保育園や小学校へ出かけて本の読み聞かせを
しているほか、自宅でも子どもたちに毎日本を読んでいる。


素敵な言葉の世界に包まれて
    ・・・・・ 堀京子さん

 「ほん、よんで」。夕食、おふろがすんで、ばたばたの1日が終わり、放心しかけていると、パジャマ姿の3男が絵本を手にやってくる。「ええでー。おいで」とひざに座らせると、長男、次男が両わきにやってきて、今夜もわが家の絵本タイム−幸せタイムのはじまり、はじまり…。
 私の絵本好きは10年前、私の妊娠を聞いて、友人が「絵本の与え方」(福音館書店)という小冊子をプレゼントしてくれたのがきっかけで始まりました。
 福音館書店の松居直先生は著書「絵本・ことばのよろこび」の中で子育てと絵本について「それは子どもを本好きにするとか、子どもに何かを教えるとか、知識を多くするといったたぐいの、枝葉末節にとらわれたことではありません。親と子が共にいる喜びと、絵本の楽しさを共にする喜びの場が生活の中に創造されることが、子どもに本を読んでやる最高の意味です」とおっしゃっています。
 「赤ちゃんが生まれたら、私も抱っこして読んであげるんだ」と、やさしい母になった自分を夢見たものです。でも実際の子育ては厳しかった。特に長男が2歳にならない間に泣き虫の次男が生まれてからは、子どもにかける言葉の語彙(ごい)が非常に貧困になっていました。「え、また?」「ええかげんにして」「もおー」。
 でも、そんなバタバタした生活の中でも、気分転換にと絵本を開いて読み聞かせを始めると、絵本を作った人たちの素敵な言葉の世界に、親子ですっぽり包み込まれていくんです。その心地よさといったら。もう母の怒声は、かなた。ひざに乗せている子どもの硬くなっていた体まで柔らかくなってきます。
 「よかったねー。おーしまい」で、ぱたん、と本を閉じる。と、「もう1回」。「もうひとつ」と別の本を持ってくる。こんなアンコールに応じるのも楽しみ。そしてアンコール本を読みおえると今度こそ、わが子最高の笑顔にお目にかかれるのです。これぞ「ことばのよろこび」。
 この楽しさをみんなと分かち合いたくて、福知山YMCAブッククラブを作りました。それから5年。蔵書2000冊が、お宝の持ち腐れになるのがもったいないって気持ちもあって、子どもがお世話になっている小学校や幼稚園、保育園への絵本箱、絵本タイムの出前を、ぼちぼちやっています。家でわが子に読むのとまた違って、四十人近い子どもたちとの「ことばのよろこび」はダイナミックで、読み手の力を引き出してもらう感じです。
 無我夢中のうちに過ぎていく毎日ですが、こうして「ことばのよろこび」を共有した思い出は、思春期に向かう子どもと私をつなげてくれると確信しています。
 絵本は「思春期に花開く子育て」の強力なサポーター。あなたもお子さんと読んでみませんか?


子どもたち自身が運営に協力
みかんの木文庫

 仲野恵子さんが福知山市かしの木台の自宅で「みかんの木文庫」を始めたのは1989年9月のことだった。自分の本250冊に、府立図書館から借りた400冊を加えてスタートした。 毎月第1、3土曜日の午後、仲野さん宅に大勢の子どもたちが集まってくる。絵本の読み聞かせや紙芝居、ときには人形劇が上演される。子どもたちはにぎやかに笑い、また食い入るように見つめ、物語の世界に引き込まれていく。
 最初少なかった本も、その後少しずつ増え、いまでは1500冊ほどを所蔵するようになった。いろんな人から活動に賛同して古書を寄付してもらうほか、毎年5月に近所の公園でバザールを開いて資金をつくり出している。大人たちも出て運営にあたるが、中心になるのは文庫に集まってくる小学生、文庫に通って大きくなった中学生たち。なにもない無の中から自分たちで企画を考え、売る品物をつくり出し、売るための飾りや仕掛けを考え、形にしていく。この子たちを、ずっと見守ってきた仲野さんは、本が子どもの成長に大きな力となることを、自信をもって訴える。

 
人生に対する信頼感を育む
  ・・・・仲野恵子さん

 一斉にそそがれる食い入るかのような瞳(ひとみ)、はじける笑い、ほーと広がる安堵(あんど)のため息。
 子どもたちに本を読んでいると、夢中になっている彼らの集中力に引きずりこまれ、さらに深い本の中身が見えてくることがあります。一人で読んでいたら味わえない、心の響きあいを感じる豊かなひとときです。読み手の至福のときです。
 子どもたちは、どきどき、わくわくしながら登場人物のだれかに寄り添い、お話の世界を経験しているようです。 「あこがれはいつも主人公。本を読み切った次の日は、その主人公きどりで登校している僕がいる。前日の僕と少し違う僕がいる」。そんなことをいった小学校高学年の男の子がいました。「そりゃ少しオーバーだ」と思っていたら「その話はよくわかる。赤銅鈴之助にふれた翌日、俺も正義の味方になっていた。馬にパカパカ乗っていた」と言ったおじさんもいました。確かに、よくわかる話です。
 言葉の経験。それは本当の経験ではありません。けれど実体験よりもはるかに深く心に残ることもあるようです。
 混ざり物のいっさいない純なる世界で、主人公と一緒に困難を乗り越え、生きるのです。その鮮やかなイメージを伴った言葉は、体の奥深くに入り込んでいくのでしょう。
 1冊の本でとは思いません。けれど、たくさんの本との出あいの中から少しずつそんな言葉が蓄えられたら、それは本当の「生きる力」になっていくのでは、と思うのです。
 「根性はスポーツの世界の専売特許じゃない。読書でだって養っていける」。これは文庫に来る本好きの子どもたちをみてきた実感です。本を読んでいる子どもたちの多くが、しっとりと強い。
きっと言葉で整理ができ、明るいイメージの蓄えが多いせいだと思うのです。自分で見通しが立てられるから行動でき、さらに待つこともできる。そう、粘り強いのです。「人生に対する信頼感」を育んでいるとでもいえるでしょうか。
 幼いころ、若いころ、身体(からだ)の中に蓄えたいっぱいの温かいイメージたちは、さらに言葉を超えて、もっと生理的な、例えば彼らの快、不快の感覚の中にも息づいて、これからの生きていく行動を促していってくれるようにも思います。
 現実の世界から逃避するための本ではなく、この生きにくい現実世界でイキイキと生きる力を育むための本なのです。 だからお父さん、お母さん、温かさのいっぱいつまった子どもの本、子どもさんと一緒に読んでごらんになりませんか。何よりも子どもの本は、おもしろくて、奥が深くて、元気がわいてくるものなんです。
 こんなステキなもの、子どもだけに独占させておくのはもったいない! と思うのです。